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2011年03月10日

ネットワーク社会でも、あの世までは繋がれない(工場長こと古家寛)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

先日、京都大学の試験中に携帯電話でヤフー知恵袋に質問をして、
不正に試験を解答する前代未聞の事件が起きました。
事件としては、純粋な「カンニング」だったので、
逮捕するレベルでもなかったかもしれません。(一気に報道熱は冷めましたし)
ただ、インターネットの特性を利用した点は興味深いし、
難関の京都大学の数学入試問題を解くのにネット検索を活用するというのは、
数学の新手の解法として一石を投じたように思います(不正ですけど)。
まさに自由な校風の京都大学らしい解き方…と書くと、皮肉っぽいか。
単なるカンニングだったにも関わらず一時マスコミは大きく報道しましたし、
不特定多数の誰かが試験時間内に受験生のカンニングを助けてしまうことは、
インターネットが生活に根付いている時代を反映していたように思えます。
「他力本願」が、京都大学の合格を成就させかねない時代ですね。
…と書くと、仏教界から怒られるでしょうか。

話はそれますが、「他力本願」には2つの意味があります。
(1)阿弥陀仏の本願。衆生がそれに頼って成仏を願うこと。
(2)転じて、もっぱら他人の力をあてにすること
この通り、広辞苑にも書かれています。
先述の「他力本願」は、もちろん(2)の意味で使っています。
しかし、(2)の意味で発言したとしても、
仏教関係者は抗議するのが定説のようです。

1968年に倉石農相が「日本国憲法は他力本願」と発言し国会審議が停止。
浄土真宗各派からの抗議もあり、2月23日には農相を辞任しました。
また、2002年にデジタルカメラのオリンパス株式会社が、
全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を展開。
こちらも真宗教団連合から抗議を受け、謝罪することになりました。
仏教にとって「他力本願」もしくは「他力」は重要な言葉であり、、
(2)の悪いイメージの意味で使われるのは気分が良くないでしょう。

一方で、誤用が定着するということは、
世間の信仰心の薄れの写し鏡かもしれません。
浄土真宗本願寺派の葬儀では、
「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」
と高僧和讃が読まれることがあります。
「本願のはたらきにあったならば、往生できる」と。
しかし、どれだけの遺族や会葬者が、
その言葉に願いを掛けているのでしょうか。

ヤフー知恵袋で「往生」と検索すると、
6000件以上の質問と回答がヒットします。
様々な質問がありますが、阿弥陀如来が回答したら、
多くは間違いなくベストアンサーになるでしょうな。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年03月10日 08:23

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