「お亡くなりになられてから四十九日までを中陰とか中有(ちゅうう)といいます。中陰はお亡くなりになられた方が極楽浄土に生まれ変わる間の期間で、分かり易く言いますと、極楽浄土までの旅をする期間です。この期間の線香は昔から「食香」と呼ばれています。食香とは線香の香りを食事とすると言う意味です。四十九日までの期間、お線香がお亡くなりになられた方の食事になります。」
葬儀の後、こういうセールストークに年寄りは騙されやすい。
そして言っている方は、変な事を言っているとは思っていないので困ったものだ。
極楽浄土へ行くということは、浄土宗か浄土真宗だろう。
私が知る限り、どちらの宗旨・宗派であっても「食香」という概念はない。
因みに、浄土真宗では旅も否定しています、即得往生ですから。
(即身成仏とは違いますよ)
(本文と写真は関係ありません)
違った意味での「食香」ならば、施餓鬼会でのそれであろう。
そしてこれこそが、一般に思われている食香である。
飢餓に苦しむ餓鬼に対して、食べ物や飲み物を施す法会がある。
施食会(せじきえ)と云い、発端は少し専門的になるが、
救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぐばつえんくがきだらにきょう)による。
この経典、阿難尊者(お釈迦様の弟子)が
「お前の命は後3日で、その後、餓鬼の世界へ生まれ変わるぞ」と告げられる。
恐れおののいた阿難は、お釈迦様に相談をする。
そしてその供養の方法を授けられた。
これが現在、施食の功徳によって、祖先の精霊の追善供養をする…となるが、
施しの気持ちと云うのは、この時ばかりではなく、常日頃から布施の心を…だ。
話を元に戻すと、食香というものは、餓鬼の世界での施し。
まるでご先祖様が、餓鬼の世界へ行ってしまわれたかのような感じでお話をしている
のは、どう考えたって相手を侮辱しているとしか思えないのだが。
この際、お釈迦様が説いたとされるお経の話は無視して、
習俗ということでしか考えられないのだけど…それでも都合が良すぎるか。
一般には、お経を、何とも思っていないからね。
それが日本人なんでしょう。
因みに、「終活」でも「修活」でもどちらでも構わないが、
お釈迦様は、死んだ後の事はどうせわからないのだから、考えるな…
みたいなことを言っていたような気がするなあ。