「日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが・・・」
えっ? 何かデータがおかしいのかな・・・と思った。
最近米国へ行ったばかりだが、あまりにも違い過ぎる。
しかし、堂々と本の帯に載っているということは・・・買うか(しょうがない)。
買って見て読んで・・・分かった。(怒)
日本の葬儀費用231万円の根拠は、平成19年(2007年)に財団法人日本消費者協会が行った「第8回葬儀についてのアンケート調査」の結果による。
以下本文より抜粋しよう。
本文の19ページにある原稿がそれに当たる。
「231万円といえばかなりの高額だが、世界と比較してみても、それは飛び抜けて高い。時代としては少し前のものだが、1990年代の前半、アメリカの葬儀費用は44万4000円、イギリスは12万3000円、ドイツは19万8000円、韓国は37万3000円だった。浪費の国アメリカでさえ日本の5分の1であり、全体に一桁違う」
ちょっと待った。
日本の葬儀費用は2007年の統計からなのに、
対する米国などの葬儀費用は1990年代前半と言っている。
(違い過ぎる、おかしいだろう)
さらっと軽く言っているので、トリックのように普通の人には分からない。
その差は13年から17年程度あるということだ。
彼は、きっと最新のデータを持っているはずだ。
もし持っていなくても、調べれば分かる筈だし、担当の編集委員も調べられるはず。
本は最後まで読破していないが、恐らく彼が言っている(であろう)、
葬式に贅沢はいらないという趣旨は一利あるので残念で仕方ない。
私が去年、米国へ行った時に伺った話では、
葬儀費用は火葬と土葬とで差があるけれど平均60万円以上らしい。
しかも、最近は火葬率がアップし、より低価格になってきているということだった。
以前の平均単価はもっと高かったらしい・・・その辺りをもう少し詳しく言うと、
かつての米国は、業者側が不当に葬儀費用をつり上げているのではないか、
ということで消費者の不満が高まり、米連邦取引委員会(FTC)が、
業者間の説明責任を明確にするルールを導入して以後、消費者からのクレームが激減。
現在では、ジェネラル・プライス・リスト(GPL)の提出は義務づけられている。
つまり昔の米国は、今の平均費用60万円よりも高かったということである。
実際、米国から日本の葬儀業界に参入したある会社は、
セレモニーパック(通夜・告別式セット)という商品が、
1万円の会費を払って生前予約すれば85万円だという。
ただし、通夜の食事や返礼品、またお布施は含まないのだ。
この程度の価格なら、日本の葬儀社と対して変わらないではないか。
実際、この本の中でも触れられているように、四国の葬儀価格の平均は149万5000円。
この価格でお布施から返礼品まで含まれているのだから。
自分の論理を有利に展開する目的で、この不公平な資料の出し方はない。
(しかも彼は元、大学教授だ)
著者の名前「島○某」に記憶があるが、例のオウム事件の際、
オウムの肩を持ったことが原因とされ大学教授を辞職へと追い込まれた方ではないか。
ウィキペディアから抜粋しよう。(今日は色んな所からの抜粋ばかりでスマン)
島○が初めてオウム真理教について言及したのは、1990年7月刊行『別冊宝島』114号に掲載された「オウム真理教はディズニーランドである」という論文である。
1991年9月、テレビ朝日系列で放送された『朝まで生テレビ』で宗教問題が取上げられ、島○は麻原をはじめ上祐史浩などのオウム幹部らとともに出演した。その番組を踏まえて『週刊朝日』1991年10月11日号に「平成の『宗論』を読む」という記事を寄稿。オウム真理教は仏典の研究や修行に打ち込み、仏教の伝統を正しく受け継いでいる真摯な教団であると評価している。「オウムは必ず、仏典に立ち返って、自分たちの教えを説いている。オウムは最初はヨーガから始まったが、その後は、仏教の本来のスタイルに近づいている。日本の仏教は世俗化しているためにオウムが特異な集団に見えるが、むしろ仏教の伝統を正しく受け継いでいる。パーリ語の仏典を訳したりして、勉強している点も、それを裏づけている。とオウムを論評した。
松本サリン事件がオウム真理教によるとの疑惑が報道され始めた1995年(平成7年)1月25日、第7サティアンを単独取材し、『宝島30』1995年3月号に同施設が「神聖な宗教施設」とする内容のレポートを発表。
・・・云々。
ここは好きな出版社なのだが、編集委員は裏を取らなくていいのか?
疑問を感じたはずだと思うのだが、鈍感なのだろうか?
また真宗を学ぶ者としても、宗教学者とは思えない理論の展開があり私は頭を抱えた。
(それについては書きません)
最後に、一言。
「こんな本は、要らない」